<原文・ドイツ語>

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.

ICH BIN ich und DU BIST du –

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,

wenn nicht, dann ist auch das gut so.

<日本語訳>

私は私のために、あなたはあなたのために生きる。

私はあなたの期待に応えるためにに生きているのではないし、あなたもまた私の期待に応えるために生きているわけではない。

私は私で、あなたはあなただ。

それでも、私とあなたが出会えたのなら、それは素敵なことだ。

もし、私とあなたが出会えなくても、それもまた素敵なことだ。

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ゲシュタルトの祈りなんていうと、ゲシュタルトさんという人が創った詩のように思えて仕方ないのですがw
ゲシュタルト療法の産みの親である、フレデリック・S・パールズさんの詩になります。

個人的に強い感銘を受けた言葉です。

「私は私、あなたはあなた」
系とか
「出会えても出会えなくてもどちらでも」
系とかの言葉って、
普通は、
「なんだか冷たく、寂しく聞こえてしまう」
と思います。

でもゲシュタルトの祈りには、暖かさを感じるのです。

「お互いに、自分自身として生きているだけで素晴らしい。」

とこの詩は言っているのでしょう。

別に出会えても出会えなくても、
それぞれが、自分として生きることが出来ているなら、
それはとても素晴らしいことです。

それは変に依存し合っている関係よりも、
ずっと暖かで居心地が良い関係に違いありません。

(最後の一節を「出会えなくても、それは仕方ないことだ」と訳しているものも見ますが、
個人的には”仕方がないこと”という、諦めの意が篭った響きは「祈り」を冠したこの詩、
またパールズさんの思想を考えると、ふさわしくないと思っています)

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